
Poul Kjærholm
ポール・ケアホルム
1929 - 1980
1952年、王立美術大学家具科を卒業、引き続き家具科において学生の指導にあたり、1952-1956年、教官。1959年、講師。1972年、教授となる。若いときからその才能を発揮し、奇才といわれた。それまでの世代のデザイナーのほとんどが木を素材としてデニッシュデザインを確率してきたのに反して、スチールを素材として使い、繊細で鋭いディテールの処理と厳格なプロポーションと線の処理は他のデザイナーの追随を許さない。彼の作品は素材、構成、形態、色彩とどの部分をとっても、徹底して選択され厳密に処理された確かさを持ち、必要最小限に削ぎ落とされた静謐な物として完成している。特に構造では、片持ち梁構造やテンション構造を家具のなかに持ち込み、今まで見られなかった家具の形態と構造をデザインしてみせた。E.コルド・クリステンセン社との共同による数々の名作がある。
織田憲嗣氏著「デンマークの椅子」より引用

要素を必要最小限に削ぎ落とし、繊細なディテールを作り出す奇才
ポール・ケアホルムは、家具職人としての修業を受けた後、デンマーク美術工芸スクールで学びました。建築素材に強い関心を持っていた彼は、家具の素材としては当時まだ一般的ではなかったスチールも、木などと同様、芸術的な繊細さをもつ天然素材であると考えていました。卒業後はフリッツ・ハンセン社に約1年間勤め、その間に重要なチェアのプロトタイプを数多くデザインしています。繊細なディテールと独特のオーラをもつ彼の作品たちは今も多くの人々を惹きつけています。


- Production -

1872年に家具の部材メーカーとして創業したフリッツ・ハンセン。アルネ・ヤコブセンとの恊働は1932年から始まりました。工業化を意識した「ファニチャーファクトリー」を自負し、成形合板や発泡ウレタンなどの技術をもつ一方で、ウェグナーの「チャイナチェア」などの美しい木の椅子や、ポール・ケアホルムのスチールと革の椅子など、素材の扱いには職人的な細やかさももっています。

1957年ミラノトリエンナーレ グランプリ作品 「PK22」 1956年デザイン ポール・ケアホルムに多大な影響を与えたミース・ファン・デル・ローエの名作“バルセロナチェア”を意識し、それを超えようとしてデザインされた椅子。 脚はフラットバー(引抜平鋼)で、シート部分とはネジで止められるノックダウン構造となっています。 PK22 W630×D630×H710 SH350


印象的な美しさを持つデザインアイコン 「PK80」 1957年デザイン PK80のインスピレーションはバウハウスから、またその元は古代ローマのカウチから来ています。 2004年、PK80がニューヨーク近代美術館(MoMA)の展示室のベンチとして多数採用されたことからも、家具史上におけるPK80の重要性を認識することができます。 PK80 W1900×D800×H300

PK31 1958デザイン 様々な空間に適応しながらもその個性を失うことのないPK31 は、ケアホルムの優れた才能を表しています。 ケアホルムの理想への妥協のない探求の代表作とも言えます。椅子全体のフォルムが76 ㎝角、そのちょうど真ん中の高さにシートクッションがあることなどは大変理論的です。あくまでも上品で快適な座り心地と高級感を追求した PK31 は、張地は革、ベースはマットクローム・スプリングスチールで構成され、シンプルな全体像は精緻なディテールで組み立てられています。





カール・ハンセン社は機械加工に強いメーカーで、手仕事の要素が強いウェグナーのデザインをうまく量産化して成功しました。1908年の創業時は城や貴族の家のためのクラシック家具をつくっていましたが、1949年、多くの展示会で注目を集めはじめていたウェグナーのデザインの更なる可能性を見いだし、デザインを依頼したのが大きな転機となりました。代表作のYチェアをはじめ、木の構造を知り尽くしたウェグナーの作品にさまざまな技術力で対応し、ウェグナーのデザイン力を引き出しました。


フラックハリヤード/ブラック ステンレススチール脚

ポール・ケアホルムがデザインした初めてのダイニングチェアPK1。1955年に発表され、金属素材の美しさを引き出す才能に長けた、ケアホルムデザインの典型として知られてきました。

フラックハリヤード/ナチュラル ブラック脚